大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和54年(ネ)1344号 判決

控訴人

東京都

右代表者知事

鈴木俊一

右指定代理人

樋口嘉男

外二名

被控訴人

橋本恒夫

右訴訟代理人

鈴木一郎

錦織淳

浅野憲一

山岡正明

高橋耕

笠井治

主文

原判決中、控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人に対し、別紙物件目録(四)記載の建物を明け渡せ。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一次の事実は、当事者間に争いのないところである。

1  本件住宅が控訴人の所有に属し、被控訴人がこれを占有していること

2  被控訴人の本件住宅占有は、昭和三三年七月二五日から始められ、控訴人主張の賃貸借契約にもとづくものであつたこと

3  控訴人が昭和四一年一〇月二二日被控訴人に対し同年一一月一日以降一か月につき二一〇円の割増賃料を徴収する旨を通知し、右通知は同年一〇月二二日ころ被控訴人に到達したこと

4  被控訴人は昭和四一年一一月一日から同四二年三月末日までの割増賃料合計一〇五〇円の支払をしていないこと

5  被控訴人が昭和四九年七月ころ控訴人の許可を受けないで本件住宅の敷地である本件土地上に本件建物を建築したこと

6  控訴人が被控訴人に対し、同年一二月二七日到達の書面で昭和五〇年一月三一日までに本件割増賃料を支払うように、及び本件建物を収去して本件土地を原状に回復するように催告したこと

7  控訴人が被控訴人に対し同年二月二一日付書面で被控訴人の本件住宅使用許可を取消し、これを明渡すよう請求し、同書面は同月二四日被控訴人に到達したこと

なお、控訴人が被控訴人に対し、その本件住宅入居に先立ち法及び条例に基づき第二種東京都営住宅としての使用許可をしたことは、被控訴人の明らかに争わないところである。

二〈証拠〉によれば、被控訴人の昭和四〇年中の給与収入総額は五〇万五〇〇一円以上七八万六六六六円以下であつたことが認められ、これに反する証拠はなく、また同年中妻及び未成年の子二人があつたことは当事者間に争いがない。

そして、施行令一条三号(昭和四二年政令第一〇五号による改正前のもの)の計算に従うと、被控訴人は同年中に月額二万五〇〇〇円を超え、四万五〇〇〇円以下の収入があつたこととなり、従つて控訴人は昭和四一年一〇月二二日の時点で、被控訴人に対し、割増賃料規定により、家賃額の0.2を上限として割増賃料を徴収する権限を有していたというべきところ、その限度内において控訴人は前記のように割増賃料徴収の通知をなし、被控訴人に到達したのであるから、被控訴人は同年一一月一日以降一か月二一〇円の割合による割増賃料債務を控訴人に対して負担するに至つたというべきであり、条例一一条三項によれば右は毎月末日までにその月分を納付すべきものとされている。

三以上の事実を総合すれば、控訴人が被控訴人に対してなした本件割増賃料の滞納及び無許可増築を理由としてなした前記明渡請求(形式的には一個であるが、実質的には二個の明渡請求である。)は、法二一条四項、二二条一項二号及び四号、条例一五条四号、二〇条一項二号及び五号に照らしていずれも有効であるといわねばならない。なお条例二〇条一項二号は「正当な事由がなく使用料を三月以上滞納したとき」と規定しているが、その「使用料」は、法二二条一項二号「家賃又は割増賃料を三月以上滞納したとき」と対比するときは「家賃又は割増賃料」と同義であると解するのが相当であるし、原審における被控訴人本人尋問の結果によれば、被控訴人が割増賃料を滞納したのは割増賃料制度が法律上違法不当なものであることを理由としたものであることが認められるところ、右が正当な事由に該らないことは後述するところから明らかである。また被控訴人が知事の許可を得ることなく本件住宅敷地内に本件建物を建築したことが条例一五条四号及び二〇条一項五号に該当することはいうまでもない。それ故被控訴人は控訴人の明渡請求が到達した昭和五〇年二月二四日限り本件住宅の賃借人たる地位を失つたものである。

四被控訴人は割増賃料規定の違憲無効あるいはその適用違憲を主張しているので以下に判断する。

1  原判決七枚目表九行目から同裏一〇行目までの主張について

一般私人間の取引は公正な価格をもつてなされることが理想であり、公正な価格は通常市場価格であるから、建物賃貸借においても賃料額の決定は当事者間の自治に委ねられるのは当然であるが、建物賃貸借はしばしば長期間に亘ることから、当初合意によつて決定された賃料額が市場価格から遊離する場合が生じるので、法は当事者間の公平を図り、賃料額を市場価格に近づけるため、一定の要件のもとに賃貸(借)人に賃料増(減)額請求権を与えているが、右の目的に照らすときは、右増(減)額請求権の要件に、市場価格と関係のない賃借人の収入の増(減)を加えなかつたことは当然であるし、一方公営住宅の賃料は、法一条に掲げられた目的に副い、法一二条の制限の範囲内で一般市場価格よりはるかに低廉に定められるのであつて、一般市場価格と公営住宅賃料との差額は、実質的には事業主体たる地方公共団体が住宅に困窮する低額所得者に付与する経済的援助であると考えられるところ、入居者の収入が増加した場合に割増賃料規定により一定の基準に従い、援助を削減する手段として入居者に割増賃料を課することは、割増賃料と本来の賃料を合算してもなお市場価格に比して低廉であることを考えれば、法一条の目的に照らし、まことに相当といわねばならない。それ故被控訴人のいう差別には合理的な理由があり、被控訴人の主張は失当である。

2  原判決七枚目裏末行から一二枚目裏一〇行目までの主張について

まず被控訴人のいう居住権なる概念が憲法上の権利として一般に承認されているとはいえないから、居住権侵害の主張自体失当といわなければならない。もつとも被控訴人は居住権は憲法二五条一項、一三条、二九条によつて支えられる権利であると主張しているから、以下に明渡努力義務規定及び割増賃料規定が右各条項に違反するかどうか検討してみることとする。

前述したように公営住宅の入居者は、実質的には事業主体たる地方公共団体から低額所得者たる地位に基づき経済的援助を受けているのであるが、この援助が一旦開始されると、入居者の収入が増加するなどの事情変更にかかわらず永続するとすべきでないことはもちろんであるところ、明渡努力義務規定は、入居者の住居の安定の必要をも考慮し、入居後三年を超え、かつ入居申込の資格たる収入額の基準に比し、ある程度高い別箇の基準(第二種東京都営住宅の場合は前者は月額二万円以下であるに対し、後者は月額二万五〇〇〇円以上とされている。)を超える収入のある者のみに、明渡に努力する義務を課しているに過ぎないのであるから、右規定がただちに国民の健康で文化的な最低限度の生活を営む権利、国民の生命、自由及び幸福追求に対する権利、あるいは財産権を奪うものとは到底考えられないから、明渡努力義務規定が憲法二五条一項、一三条、二九条に違反するということはできない。

また割増賃料規定の趣旨は既に見たとおりであつて、右趣旨に照らすときは、右規定が憲法二五条一項、一三条、二九条に違反するとは到底いえない。なお被控訴人は割増賃料は明渡努力義務の不履行に対する制裁金として定められたものであると主張するが、割増賃料はあくまで割増賃料であり、公営住宅使用の対価の一種であつて、制裁金でないことは明瞭である。その故被控訴人のこの主張もまた採用しえない。

3  原判決一二枚目裏末行から一三枚目表末行までの主張について

法二四条一項はもと「事業主は、政令で定めるところにより、公営住宅又は共同施設がその耐用年限の四分の一を経過したときは、建設大臣の承認を得て、当該公営住宅又は共同施設を入居者、入居者の組織する団体又は営利を目的としない法人に譲渡することができる。」と規定していたが、昭和三四年法律第一五九号により右「経過したときは」が「経過した場合において特別の事由のあるときは」と改められ、これにより入居者に対する公営住宅払下の可能性が窄められたことは確かであるが、明渡努力義務規定ならびに割増賃料規定は、右と同一の機会に新設されたけれども、払下の問題とは直接関連がない事柄であるから、仮りに右法改正中法二四条に関する部分が公営住宅居住者の払下期待権を侵害するとしても、その故に明渡努力義務規定や、割増賃料規定が違憲無効といえないことはいうまでもなく、右主張は失当である。

4  原判決一四枚目表初行から同裏三行目までの主張について

割増賃料規定に基づいて実際に被控訴人が請求された本件割増賃料は一か月僅か二一〇円に過ぎないから、仮りに被控訴人主張の事実関係がそのとおりであつたとしても、右割増賃料が被控訴人に対し本件住宅の賃借権の放棄を余儀なくさせるほどの負担であるとは到底云いがたく、適用違憲の主張は採用できない。また被控訴人は法二一条の二の二項が割増賃料の徴収につき事業主体の裁量を許したことと、条例一九条の三が割増賃料の徴収を必要的としていることの予盾をいうが、事業主体は法の規定により割増賃料の徴収権限を与えられているのであるから、条例が右徴収を必要的なものとして定めたとしてもなんら不都合はなく、この点に関する被控訴人の主張も理由がない。

五被控訴人は割増賃料の請求について借家法七条二項の適用があるから、割増賃料の支払を怠つても、基本たる賃料を支払つている限り、被控訴人に債務不履行の責はなく、控訴人の明渡請求は理由がない旨主張するので案ずるに、同法七条二項は、賃貸人の賃料増額請求権の行使がしばしば過大であり、賃借人は右行使の結果たる賃料増額の有無又はその数額の正当性を裁判確定前に正確に知ることが事実上可能であるにもかかわらず、右結果の発生は右請求権行使の時点に遡るとされ、また金銭債務の不履行は故意過失を要件としないため、裁判確定後にはじめて知りえた正当な賃料額による不足分を提供しても賃料不払による賃貸借契約の解除を防止しえないという不合理な危険から賃借人を解放するために、昭和四一年法律第九三号によつて賃料増減請求権と同一条下に新設された規定であるから、元来同条一項の増額請求権行使の結果につき、当事者間に争いのあるときにのみ適用されるものと解すべきである。そして賃料増額請求権の制度がもつぱら賃貸借当事者間の公平を図るためのものであるのに対し、割増賃料の制度は、法一条の掲げる目的に副い、公営住宅既入居者とそれ以外の住宅困窮者間の公平、あるいは社会全体の公平を図ろうとするもので、両者はまつたく異質の制度であるし、また割増賃料徴収の要件は、公営住宅入居後三年以上を経過したこと及び入居者の収入が一定の収入基準を超え、割増賃料規定に該当するに至つたことであつて、入居者にとつて確知しがたい要素は含まれていないから、割増賃料徴収の適否は入居者にとつておのずから明らかなはずであり、正当な割増賃料の請求に対しその支払を怠つた入居者には少くとも過失があつたというべきであるから、かかる入居者を保護するために、借家法七条二項を類推適用し、又は準用する余地のないことももちろんである。

それ故被控訴人の右主張は採用することができない。

六被控訴人は法二一条四項、条例一五条四号は公営住宅の事業主体である地方公共団体の内部的準則にとどまり、私法上の賃貸借の当事者である被控訴人を直接に拘束するものでないと主張するが、公営住宅法、東京都住宅条例が単なる地方公共団体の内部的準則にとどまるものでなく、国民一般あるいは住民一般に対し拘束力を有するものであることはいうまでもなく、被控訴人の主張はひつきよう独自の見解に過ぎず採用できない。

判旨七被控訴人は本件増築については信頼関係を破壊するに足りないと認めるべき特段の事情があるから、本件明渡請求は無効であると主張するところ、一般私人間の建物賃貸借においては、当事者は互いに自己の信頼に値する者のみを相手方として選択する自由があり、かつ自己の財産保全のためにはその必要があるから、当事者間に信頼関係の存することが建物賃貸借契約の存続の要件であり、かつ信頼関係が破壊されない限り、一方的に契約が解除されることはないと考えることができるが、公営住宅の賃貸借において、事業主体が入居者を決定するには、法一六条ないし一八条等の規定に基づき、もつぱら住宅に困窮する低額所得者の中からこれを定めるのであつて、もともといわゆる信頼関係の相手方にふさわしい者を賃借人(入居者)として選択する自由はないのであるから、公営住宅の使用関係に、私人間の賃貸借関係に用いられる信頼関係理論を持ち込むことは相当ではないと考えられる。それ故これと異なる見解に立脚する被控訴人の主張はもとより失当である。

八被控訴人は本件増築を理由とする控訴人の明渡請求が権利の濫用であると主張するので考えてみる。

1  都営住宅の入居者が知事の許可を受けることなく住宅敷地内に増築をした場合であつても、その増築が著しく軽微なものである場合には、これを理由とする明渡請求が権利の濫用とされる場合がありうるといえよう。しかしながら〈証拠〉を総合すると、本件建物は、本件住宅の南側に近接し、基礎に布コンクリートを打ち、六本の鉄骨柱の下部の基礎鉄板(ベースプレート)を地下約三〇センチメートルの基礎コンクリートに据えつけ、アンカーボトルで締着し、その周囲を養生コンクリートで補強し、右支柱の高さ3.10メートルのところに巾約三〇センチメートル、長さ約三〇センチメートルのH型鉄鋼を積みあげ、これを各支柱とボルトで締着して梁となし、支柱と支柱、梁と梁との間には直径約二センチメートルの丸鋼の筋かい(プレース)を施して堅固に組立て、その上部に鋼板製デッキプレートを張り、その上にコンクリートを塗り、この鉄構造体の上に、六畳、四畳半の二間の子供の勉強部屋からなる居室部分(その間取りは、別紙図面(四)のとおりである。)として、建築されたもので、右居室は床面積19.80八〇平方メートル、木造亜鉛メッキ鋼板葺、外壁も波型亜鉛メッキ鋼板で囲い、屋根高は地上約6.5メートルに達し、本件住宅を含む四戸建長屋の軒高、棟高をはるかに凌駕していることが認められ、これに反する証拠はない。してみれば、これをもつて著しく軽微な増築であるといえないことは明白であるから、前述した意味で本件明渡請求が権利の濫用であるとは到底いえない。

2  増築が、入居者にとつて真にやむをえないもので、他にとるべき手段がなかつたために行われた場合においては、宥恕されるのが相当であり、これを理由とする明渡請求が権利濫用とされることもありうるであろう。そして被控訴人の主張として原判決一六枚目表二行目から同裏三行目までに揚げられた事情は、原審における被控訴人本人尋問の結果によつてこれを認めることができるけれども、右事情があるからといつて、本件増築をすることが、被控訴人にとつて不可避的であつたということはできない。何となれば、右のような事情自体、必ずしも被控訴人方に特有なものであつたと考えにくいほか、被控訴人にとつて知事の許可をえてその範囲内で増築をすること、都営住宅から他へ転出することなどの選択もありえたはずであり、これらの選択をしえなかつたことを首肯させるに足りる特段の事情については、本件全資料によつてもこれを認めがたいからである。それ故右の意味においても本件明渡請求が権利の濫用であるということはできない。

3  本件明渡請求が、他の都営住宅入居者であつて、違法な増築をしている者に対する控訴人の処置との間で著しい不均衡があり、その間に不当な差別があるとすれば、右明渡請求が権利の濫用としてその効力を否定される可能性があることも必ずしも否定できない。そうして都営住宅の入居者の中には、その敷地を利用して違法に増築している者が数多く存在していることは、弁論の全趣旨によつてこれを認めるに難くないけれども、前述した被控訴人の増築よりも著しく堅固かつ大規模な増築を知事の許可なく行い、かつ控訴人の事後承認を受けた事例(単に明渡請求を受けていないというだけで、将来その可能性がある場合は比較の対象として適当でない。)があつたことを認めるに足りる的確な証拠はないから、本件明渡請求が著しく均衡を失するものといえないことも明らかである。

4  被控訴人は、本件明渡請求が公住連役員である被控訴人に対し差別的になされたものであつて憲法一四条に反し、権利の濫用にあたると主張し、前出本人尋問の結果によれば、被控訴人が公住連の役員として活動して来た事実を認めうるが、控訴人がそのことの故に差別的に本件明渡請求に及んだとの点は、これを認めるに足りる証拠がないから、右主張もまた失当である。

5  そして本件明渡請求が権利の濫用であることを首肯させるその他特段の事情については、本件全資料によつてもこれを認めえない。

九以上のとおりであつて、被控訴人は控訴人に対し昭和五〇年二月二五日以降本件住宅を明渡すべき義務を負担するに至つたものである。ところで本件建物は前認定から明らかなように台所、便所、玄関等もなく、かつ本件住宅との位置関係からしても、本件住宅と一体として利用しはじめてその効用を発揮するもので、独立しては殆ど用をなさないものといえるから、本件建物は、本件住宅に付合して一体化したものというべきである。更に検証の結果によれば、本件住宅にはその北側に屋根を亜鉛メッキ鋼板で葺き、外壁を軽量コンクリートブロックで囲つた床面積5.74平方メートルほどの物置が付設され、本件住宅と一体化し、これと付合している事実を認めることができる。それ故控訴人は本件建物及び右物置部分を含む別紙目録(四)記載の建物の全体について被控訴人に対し、所有権に基づいて明渡を求めることができるというべきである。しかるところ、控訴人の被控訴人に対する右明渡請求を棄却した原判決は不当であるから、これを取消したうえ、右請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(石川義夫 廣木重喜 原島克己)

物件目録、図面(一)ないし(五)〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例